考えるために書き、生きるために考えるブログ

書くことは考えることである。

バカである

私とエリオットロージャーの大きな過ちとは、“女”に救済を求めたことである。女とか何者かを観察し、理解するほどの知性がなかった故に全く無駄な努力をすることとなる。即ち、自分の苦しみや精神の救いを求め、女から承認されるという手段を使おうとしたことである。しかし、その外面の良い宝箱を開けたところで欲しいものは入っていなかった。

 

私たちが求めているのは神の愛であろう。無条件の愛であり、そこに存在していいという安心感を必要としている。それは人間の居場所であり、人間として生きているのならば、壊れていない限り必要とされる。しかし、残念ながらそれは外にはないことを理解する必要があった。他人の中に無条件の愛はない。他者の愛や親切というのは普通、自分に徳がある時にだけ行われる。誰もが自己中心から抜け出すことはできないのである。それは本能であり、人間である。愛を求めるなら神に求めた方が良い。キリスト教のような宗教はその点では、大いに役立つと思われる。必ずしも現代の人間に認められるという居場所でなければならないということはない。神やキリストといったキャラクターに認められているという信仰は心に大きな安心感を与えるのだろう。