考えるために書き、生きるために考えるブログ

書くことは考えることである。

稼ぐのが面倒くさいのと

働かなければいかないのは確かだけど、もしお金を稼げないなら。出費を下げるしかない。お金は本来、社会にどれだけ貢献したかという”証明する紙”である。その紙を出せば、それを自分が必要なものと交換することができる。それは食べ物であったり、楽しみであったり、経験であったり、教育だったりする。他者の労働力を使わせていただき、それを利用する。電気、ガス、食事をお金を払って提供されるまでの労働力を含んだ、値段を払い、それを楽しむことができる。お金の力を借りるということは他者の力に依存していることである。誰かにそれをしてもらうことである。生活は便利になり、生きやすくなるが、自分の経験地は減る。稼ぐより出費を減らすことのほうが何百倍も簡単だと感じる。人間は何に金を払うのか、それは欲に動かされている。それは食べ物であったり、楽しみであったりである。資本主義の根底は”欲”である。その”欲”に善悪はない。しかし、自分の”欲”をコントロールすることによって、出費は減らすことができる。何も欲するものがなければ、この資本主義社会においてトップに踊り立つことができるかもしれない。(欲がなければ、なぜ人々は生きる必要があるのか・・・そんなことは不可能なのだが・・・。)もし生きたいのであれば、最低限の食べ物を自分で調達するか、お金を払って、それを手に入れなければならない。今の社会では、自分でそれを手に入れるの難しいであろう。もしかしたら、知識があればいけると思われる。

 

完全なる自立を完成させれば、それは、自らの力で食べ物を調達し、水を飲み、生活するということができれば、この社会に所属する必要もない。この社会に所属していいるということは、何かしらで依存しているということである。人々は盲目的にお金を信仰するが、僕はただの紙切れであるように思う。便利ではあるが、すべてではない。僕は僕なりの生き方を見つける必要がある。経済活動には、人間として必要な(僕は得意ではない)大人数と群れ、自分の活動を宣伝し、自らの商品を楽しんでもらうという活動をしなければいけない。なぜそのような活動が僕は嫌いなのだろうか。僕は失敗が怖いのか?僕は本当は人気者になりたいのだろうか?誰かが人気者になっているのが面白くないのだろうか。僕は欲望を隠しているだけなのだろうか。それは事実かもしれないが、間違っているのかもしれない。僕は一人で作業することが好きだ。他者から評価されることも好きだが、それも多すぎるとくだらないと思えてしまう。僕の心が切望しているのは、一緒にいたい人間と一緒にいることであるのだが、それが叶ったことはない。僕は持っていないものを望み、持っているものには感謝しないという癖があるようだ。結論はどうやって稼げばいいのかわからないし、稼ぎ方がわからない。何故、金がほしい?社会的地位が欲しいからだ。突き詰めると女だろうな。僕は”欲”に動かされている。

 

もし他の人が必要ないのであれば、金はいらない。ビジネスの本質は依存にあるのではないだろうか。