考えるために書き、生きるために考えるブログ

書くことは考えることである。

なぜ僕が他者の心の支えのならなければならないのか

なぜ僕が他者の心の支えにならなければならないのか。最近は、家族への憎悪が止まらないでいる。子供は親から生まれ、経済的な援助を受ける。だからといって、生まれること、そして、生き、教育を受けさせることを選択することは親がすることだ。小さな子供は、放置すれば死ぬ。だからといって子供と親にはそれ以上の関係は存在しない。親が産み、親が自分のために育てる。

 

親が気に食わないのは仕方がない。自分の殻に閉じこもり、教養を受け、深めようとするつもりがない。人は与えられたプログラムを走らせているの過ぎない。それは親や環境は与えたプログラムであり、そのプログラムが必ずしも正しいとは限らない。そのプログラムの存在を意識し、書き換える方法を学ばなければ、我々は猿の延長線上にいるに過ぎない。本当に人間になるには、全てを変える必要がある。

 

僕が愛する哲学とはこのプログラムについての思考である。そのプログラムが現実を生きるにあたって有効であるかを確認し、バグがあるのならば、書き換え、整理することを哲学というのだろう。

 

母親の精神の安定を他者に頼ろうとし、自分では何も変えようとしない態度や性格には強い嫌悪感を抱いているが、これが女というものなのであれば、受け入れなければならないのであろう。そして、父親に尊敬の態度を示さないあの態度は非常に見ていて、腹が立つ。父親も僕を一人の人間として尊重しようという感覚がないので非常のイライラする。早く一人暮らしをすればマシになるかもしれない。