考えるために書き、生きるために考えるブログ

書くことは考えることである。

上から目線の評価している人間

どうしても好きになれないのが、掲示板やYouTubeなどで作品を評価する人間である。僕もそういう人間の一人であることに変わりはないのだが、掲示板の人間の文章を見ていると気持ち悪くなる。なぜなら、僕にとってつまらないと感じる作品について、考える時間がないからである。それはまさにずっと嫌いな人のことを考えている人間のように、全く時間の無駄であるように思える。

 

そのように評価するよりは、僕は僕が愛している作品に触れている方が幸せだと感じる。僕が作品を批判するのは、僕の感性は間違っていないと共感を求める時だけである。なぜなら他者と違う好みだと不安になる事が多い。だからこそ、自分を正当化するために批判をするだけである。その批判は間違っているかもしれないし、間違っていないかもしれない。ただ、僕は面白いと思ったものを面白いと言い、つまらないと思ったものはつまらないと言っている。それだけである。

 

そうして、最終的の行き着いたのが古典信仰である。大衆向けの作品には、古典にある深さが欠けていると感じる。それは読者の時間を浪費させるだけであり、数年後には忘れてしまう物語である。古典は多くの人間に読み継がれた実績があり、次世代に渡されるだけの何かが作品に詰め込まれている。僕がなぜ古典を読み出したかがわからない。気がついたらストア派哲学の本を読んでいたが、古典を読んでしまうと、他者が普段楽しんでいる大衆の娯楽が一切面白いと思えなくなってしまったのだ。これに共感できる人はいるだろうか・・・?僕は知的刺激を愛している傾向があるので、それが少ない大衆作品では物足りないと思ってしまうのかもしれない。