考えるために書き、生きるために考えるブログ

書くことは考えることである。

現実と自己肯定と多様性

最近、自己肯定感という言葉が流行っている気がする。僕はあまり好きではない。クソ野郎な自分を肯定する言い訳を作っているような気がする。自分がクソ野郎なら自分を変えた方が良いに決まっているだろう。現実と正当化は一致しない。だれも神から逃れることができない。これは叩かれるかもしれないが、美しい女性はそうでない女性よりは男性から好かれるだろうし、成功している、面白い男性は女性から好かれる。どう自分の理論で正当化しようと、現実からは逃れることができない。現実が全てである。男性と女性が同じになることはないし、肌の色も変わることがない。多様性という言葉も同様である。僕は海外や別の文化に興味がある。人々の違いは尊重されるべきであるが、いまの自己肯定感やその他もろもろの流れは好きでないと思う。僕は自分に自信がないし、肯定するつもりもない。それで正しいと思っている。自分を肯定できないからこそ、自分から変わらないといけないのではないだろうか。現実に合わせて、人々は変わらなければいけない。いくら自分を肯定したところで現実が変わることはない。この世界のルールを理解し、自分を変化させていくことが大切だと思っている。同族嫌悪ではないが、多様性ということを聞きすぎてうんざりしてきたと思う。言葉に出せばその考えの価値が下がるような気がする。いちいち主張しなくてもいいのでは、と思うことがある。