考えるために書き、生きるために考えるブログ

書くことは考えることである。

2020/01/16 ゴミクズみたいな世界に生まれて

この世界は不公平である。ここで愚痴を言っても仕方がないかもしれないけど、作業中に色々考えてしまうので、ここに吐き出す。この記事には毒が混じっているだろうから、読まない方が得だろう。他の人が毒が溜まりにくいのか、それとも僕が毒が溜まりやすい体質をしているのかわからないけど、僕は周りの人間が楽しいそうに生きていることが理解できない。この世界は不公平であり、苦しみであり、全てがくだらないと思っている。全てを破壊したいとさえ思う。僕は週刊少年ジャンプの主人公たちのような汚れのない主人公にはなれそうもない。僕の根本は自分に自信がなく、このゴミクズみたいな世界を破壊したいゴミクズである。

 

最近、周りの男が2次元の女を好いている理由が少しづつわかってきた。現実の女が男にとって魅力的ではないからだろう。魅力的という以前に女性は男性にとって恐怖の対象であり続けると思う。女性は"選ぶ“。誰とでもセックスする女はいない。女性は優秀と思われる男を選び、子供を産む。彼女は自然の象徴である。自然選択の世界では弱者は消え、強者だけが生き残る。女性はその自然の特徴を体現していると言える。選ばれるということは評価されるということである。僕が他者からの評価を我慢できる強い人間だったら何も問題ない。僕は強くなかった。自然の性質を持つ女性が嫌いでならない。だったら、女の価値を僕の中で下げればいい。僕が愛されないのであれば、女性の存在価値はない。僕の敵は苦しめばいい。僕と同じように。それに比べ、二次元の女性は魅力的であることが多い。現実の女性にはない魅力を持っている。そもそも、なぜ人は二次元を好むのか?現実ではないからだ。二次元のキャラクターは現実の制限を超えている。現実に存在し得ないからこそ、二次元のキャラクターは美しい。二次元のキャラクターを創造するアーティストは誇張し、キャラクターの魅力を最大限まで引き立たたす。二次元に現実を持ってくるのは一種の犯罪行為である。二次元は幻想であり、リアルの欠点がない。それに人々は魅せられているのではないだろうか。

 

僕はリアルを半分諦めている。しかし、自殺する勇気もない。女に評価されながら生きるのなんて嫌だ。自分の利益にならない存在は価値がない。当たり前だ。そして、僕の存在自体が何の利益もない。人生そのものに価値なんてない。何回考えても同じ結論に達する。虚無だ。

 

文章を書いたり、本を読んでいるときは比較的、気分が良くなる。これは二次元に逃げる人々と根本的には変わらないのかもしれない。僕は抽象的な世界に逃げている。客観的に考えていれば、現実から切り離され、自分が神になったような気分がして気持ちがいい。現実はあまりにも醜く、直視するには人間では弱すぎるのかもしれない。快楽は現実逃避にあまり有効ではない。性やゲームに溺れても、現実からは逃れられない。一時的に痛みは和らぐが、根本的な解決にはならない。何か目的を持てと偉い人は言う。僕は目的がない。ないわけではないが、その目的に向かって何もしていない。自殺はできないから、事故かウイルスか何かで死ねないかと考えている。殺されるのは嫌だ。僕は結局、この世界で生きていくには弱い人間なんだろう。